サポーターの性質はクラブによって異なる。私はフロンターレサポーターであるから、他のクラブのサポーター事情は皆目分からないのだが、いくつかのクラブのサポータのマナーの悪さは耳に入ってくる。
SNS社会の現代ならば、フロンターレサポーターしかフォローしていない私のタイムランにも流れてくるのだ。
サポーターは12番目の選手であり、スタンドから声援をおくる事で選手を支える精神的支柱であるべきで、選手に恐怖や不快感を与える存在であってはならない。
いくら負けても、何連敗しても、次の勝利を選手と共に喜ぶのが役目であろうし、少なくとも私はそのように考えている。
先日のロアッソ熊本の震災後初の試合となったロアッソ熊本vs水戸ホーリーホックでの感動的なシーンの数々は選手とサポーターの絆を感じたものでした。
絶えないサポーターの問題行為
昔から一部のサポーターの問題行為は大きくマスコミでも取り上げられてきている。
先日も浦和サポーターが選手に水をかけたり、バスを囲む等といった記事を見かけた。
浦和サポーターは、フランス誌『So Foot』は、世界のサポーター10選にも選ばれた事がある上、日本のサッカー界をリードするクラブなだけに、今後もサポーターの手本となるように期待するし、あの熱狂的な応援は尊敬に値する。
人種差別も日本のサッカーのみならず、世界的に問題視されている行為の一つである。
去年はG大阪のパトリックへ、先日も鹿島のカイオ選手へのTwitterでの人種差別発言が問題になったばかりだ。
人間なのだから怒りや、負けて悔しい気持ちは同然であり、熱烈なサポーターならば、それはもう計り知ることの出来ない気持ちであろうが、試合が終わったあとはノーサイドではないだろうか。
少なくとも人種差別的な発言は慎むべきで、海外から日本のサポーターをイエローモンキー(もはや死語)等と揶揄されたら、もしくわ贔屓の選手がそう呼ばれたならばと考えれば、気持ちは分かりであろう。
もし分からないとすれば、サポーターを名乗る資格は無いし、そもそも社会人として失格である。
差別用語
特定の属性(国籍、人種、少数民族、被差別階級、性別、宗教、同性愛者、障害者、特定疾患の罹患者、職業など)を持つ人々に対する否定的差別を意図して使用される俗語や表現を指し、侮蔑するための蔑称を含む。差別語と認定されていなくても差別的に使用される表現は「差別語」または「避けられるべき言葉」としてみなされることがあり、言葉によっては議論の結果、「差別語」とされないこともある。また過度な侮蔑は差別的とされる[1]。欧米ではヘイトスピーチといわれ、差別的な言動が問題視され、一部の国では法的に規制されてもいる。
出典:Wikipedia
ノーサイド
ラグビーで,試合の終了をいう。原義は,試合が終わった瞬間に敵味方の区別がなくなること。ラグビーは紳士のスポーツとされ,戦いのあとはお互いの健闘をたたえ合うという精神が尊重される。
出典|ブリタニカ国際大百科事典
世界からみた日本のサポーター
日本のサッカーサポーターは、世界からみても評価が高く、2014年のW杯での日本サポーターのゴミ拾いが賞賛された事などは記憶にあたらしいところ。
サポーターの質・マナー共にトップクラスであると確信している。おもてなし、思いやりの国 日本なのだ。
ちなみにフロンターレのサポーターは選手に対してブーイングをしない。
負けても負けても次の勝利の為に応援するのだ。それが12番の役割ではないだろうか。
日本人サポーターのいいところ
U-20女子W杯では、日本が完敗したドイツ戦後に日本人による相手国を讃える行動があり、これがFIFAの目にとまった
98年フランスW杯では熱心な応援の後で、チームのシャツと同じ青色のポリ袋にスタンドのごみを集める日本人サポーターの姿が、驚きと称賛をもって海外メディアに取り上げられた
南米は殺伐とした雰囲気で、男しかスタジアムに行けない。女性・子供が観られる幸せな環境は日本しかない
Jリーグ入れ替え戦の試合後、敗れた仙台のサポーターが勝った磐田の選手たちに拍手を送ると、磐田の選手たちは仙台サポーターの前に集まり頭を下げ、磐田のサポーターは「ベガルタ仙台」コールを送り、これに応えた
「日本のサポーターはマナーが良くてどこの国でも受け入れてくれるでしょう。全世界でこんな国民は始めてだよ。フランスW杯で負けたのにゴミを拾って帰ったなんて素晴らしいよ」ゼリコ・ペトロビッチ
「日本のサポーターはサッカーの試合をあくまでもスポーツの範疇に収めてくれます。余計なものを盛り込んだりせずに、戦う相手のこともリスペクトしながら、スポーツマンシップにのっとって観戦してくれます。それで選手たちも非常に気持ちよく戦える」ザッケローニ
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