フロンターレといえばサポーターがどんな時も声援をおくり、滅多なことではブーイングをしない事から、時にはそれが議論の対象となることがある。
先日行われたルヴァンカップ決勝後にも、当然のことながら、SNSでは議論が巻き起こっている。
声援をおくり選手を労う派。 ブーイングをする事で選手を鼓舞するべきとする派。
確かに試合が終わった後の声援は選手によっては、敗戦をなぐさめるものになり、ブーイングは悔しさを増し、次への力となる場合もあるかもしれない。
個人的な意見とすれば、どちらも度を過ぎなければ、良いのでは無いかと思っています。
今回は、試合後ではなく、試合中の声援やブーイングがどのような効果をもたらすか考えてみました。
目次
実体験で感じた声援の力
以前私は、走る事を趣味としていた時期がありました。
東京マラソンを走った時の事(これが初マラソンでした)。
品川あたりから銀座に向かう沿道で人が少なくなるポイントがあります。
丁度20キロを超えたあたりで、私は乳酸がたまり、足も思うように進まなくなってきました。
その時、私の名を呼ぶ声が聞こえたのです。
声のする方を見ると、私の連れ合いでした。私は彼女の前で少し立ち止まり、それから再び走り始めました。
私は、途端に体中にエネルギーが溢れるのを感じました。これが声援の力です。
走りながらドリンクを補給したり飴を舐めると、一時的に体の動きがよくなるのが分かりますが、声援の力はそれを遥かに凌駕したものでした。
声援の力を科学する
サッカーにおいての声援はスタジアムの一体感を演出する。
その多くはチャント(応援歌)によるものだが、これによって選手とサポーターがその場を共有し、ミラーニューロンと呼ばれる神経細胞を刺激することにより、運動誘発電位が増加する。
また、ミラーニューロンを刺激することによりサポーター同士の絆も高まるのである。
共有するサポーターの数が多い方が効果的なのは明白で、ここで力が必要だという場面では、歌いやすいシンプルなチャントであれば、それはより大きくなるかもしれない。
これは後述するアドレナリンにも繋がることである。
スポーツ心理学の研究によれば、応援されたアスリートは「より限界に近いところまで努力する」傾向があるそうで、精神面でも運動量にあたえる力は大きい事が分かっているのだ。
自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。
他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。
他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。
wikiより抜粋
チャントや、かけ声の質で変わるアドレナリン
優しい声で「がんばって」と言われるよりも、鋭い声でシンプルに「しっかり!」」とか「走れ!」等と言われる方がアドレナリンの分泌は高くなり、パフォーマンスの向上につながり易いと考えます。
これはアドレナリンを分泌する前段階として脳内ホルモンであるノルアドレナリン(怒り・発奮)を出す必要があるからです。
アドレナリンはストレスや怒りといったダークサイドがもたらすものなのです。
例えば、選手が相手PA内でボールを持った時等のチャンスには、チャントを歌うよりも観客の声援は「悠いけいけー」とか「憲剛!」とか「打てーー」等、短い言葉を何度も繰り替えるかと思います。
アドレナリンを分泌し、最大限のパフォーマンスを引き出すには こうしたシンプルで鋭いかけ声が大事なようです。
ブーイングは悪か?
ブーイングが選手の能力を削るのに役立つ事を考えると、応援席の前でCKを蹴る対戦相手の選手に向けたブーイングは一応科学的に効果があると実証されてはいますが、日々観客のプレッシャーを感じている選手にとっては、それほど顕著なものではありません。
ですがスタジアムの雰囲気作りや、サポーターの一体感へは繋がると思うので、これはやぶさかではありません。
では、本来応援するべき選手へ向けたブーイングはどうでしょう。
残念ながら、ブーイングが良い影響を与えるという事は科学的には実証されていません。
とある試合で、サポーターが主審に向けたブーイングをしている時に、憲剛がそれを宥め、声援に変えるように煽ったシーンがありました。
私は中村憲剛のコンダクターとしての凄みを知ったわけですが、彼の行動から見ても試合中のブーイングが良い影響を与え難いものであることを示しています。
ただし、時にブーイングは選手達を奮起させる目的として効果があるのではないかとも思っています。
例えば会社で上司に叱られた後、人を使うのに長けた上司ならば、その後のフォローを忘れません。
飴とムチというやつです。
ブーイングで奮起させ、その後、最大限の声援をおくれるような優れた応援であればブーイングも効果があるのかもしれませんね。
山本五十六の名言の中にこんな言葉があります。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。
山本五十六
成績とは別の大切なもの
クラブがリーグで生き残る為に必要なものは、成績も重要ですが、観客です。
我が町にクラブがあることの誇り。喜び。それらを感じたサポーターが週末に等々力に集まり、勝敗に一喜一憂する。
このサポーター達こそがクラブを育てているのではないかと考えます。
毎試合訪れる初観戦のサポーターが、「またここで皆と一緒に応援したい」「わたしもあんなサポーターになりたい」と思わせることは、勝敗だけでなく、サポーターが作り上げるものでもあるのではないかと思います。
私がフロンターレサポーターになり始めたばかりの頃、3連敗なんて普通でしたが、終わったあと、サポーターがその試合を振り返り反省点を言っているのですが、その顔は「まったくフロンターは、しかたねーな。次は頑張れよ。」といった内容の暖かいものでした。
最近は、こうした連敗をすることが少なくなり、私を含め、サポーターも敗戦への免疫が低下しています。
負ける事への悔しさが以前より増しているのは良いことです。
負ければ悔しいし、ましてや決勝戦となれば夜も眠れぬ程ですが、それが怒りとなってサポーターの雰囲気を壊すものであってはいけないかなとも思います。
サポーターに与えられた背番号12番の役割を改めて考えさせられます。難しいですね。
こんな記事を書くと また「生ぬるい」と怒られそうです。
遅ればせながらコメントさせていただきます!
フロンターレは今のままのスタイルで行きましょう!!フロンターレが大好きだから、一緒に戦いたいから応援する!そして、一緒に戦ったから勝って喜び合えるし、負けたら共に悔しがる!愛のある叱咤激励はしても、ブーイングはしない!なんて素敵なクラブでしょう!!残りの3試合、心を込めて応援でしょうね!!
皆様コメントありがとうございます。
色々な意見があって、どれもクラブへの愛から生まれるものだと思います。
そこから議論が生まれ、よりよいものになっていければよいですね。
同意です。生ぬるくて大いに結構。ブーイングなんかなくても、連敗しないチームになってるじゃないですか。
負けたり、不甲斐ないゲームをして一番悔やんで悔しく思っているのは選手自身です。
自分の応援するチームが、ブーイングしないとそれに気が付かないとでも思っているの
だろうか。選手たちの悔しさが分からないぐらいなら、もう応援するのを止めたら?
ブーイングには、腹立ちまぎれ以外の何者もない。ブーイングで腹立ちまぎれする生ぬ
るさからは、勝者のメンタリティなど生まれるはずもない。
そんなこと言ってるから勝者のメンタリティーがいつまでたっても根付かない。
生ぬるいがあたたかい。それがフロンターレの良さじゃないかな。
じぶんは支持しますよ。
味方チームへのブーイングは全く効果がないとは思いませんが、殆ど場合は単なる憂さ晴らしに過ぎませんから。
ホント生温いわ